第9章  「ダイアリー」


  自然と目が覚めてから、時計を見た。
  午前9時をまわっていた。窓を探してベッドから起きだし、
  昨夜までの記憶をつなげながら外を眺めた。
  ギフトショップ・コウヤマで、オーナーのコウヤマさんと
  対面したあと、あれからすぐ自宅へ向かった。
  自宅では、ペットの老犬「ベンディー」が人懐っこくヒロを迎えいれてくれた。
  夕飯をいただく。和食だった。かやくご飯と味噌汁。こっちへ来て初めてだった。
  30畳は下らないだろう広いリビングには、椅子が8つもあるカウンターと、
  対面するキッチンが付き、そこが中2階となって、奥の階段につながる。
  階段の下は半地下となったスペースがあり、ゲストルームが3つ。ユニットバス、
  そして2台分のガレージ。また、このリビングからはバルコニーがつづく。
  奥に長い、カナディアンでウッディーな住宅だが、
  玄関にはちゃんと日本語の表札がついていた。

  夕食後一息いれてシャワーを借りたあと、リビングで
  1時間ほど話していたが、眠気に負けそうになり
  「明日は午前中寝てればいいよ。」の声を頭のどこかで
  聞きながら、ベッドに潜りこんでしまった。
  
  ・・・ということだったんだよなあ。 っと思い返したが、
  昼まで寝てようとは思えなかった。天気は曇りのようだったが、
  外に出て歩きたかった。コウヤマさんはまだ寝ているみたいだったけど、
  こっそり部屋を出て玄関に向かった。起きていたベンディーがちょっと
  小首をかしげてこっちを見ていたが、口に一指し指を立てて
  そっとドアノブを回した。毛むくじゃらで大きい。でも人懐っこい。

  1年ぶりのバンフ。カナダに入国して6日目の9月16日の朝は
  極北のチャチルとはちがって荒涼さがない。山々からの新鮮な空気が
  樹木や土や葉に味付けされたような感覚だ。ところどころで
  紅葉も始まっていた。自宅がある区画を一回りして、大体の
  位置感覚を確認してから自宅に戻ると、コウヤマさんが起きていて、
  朝食の用意してくれていた。今日はこれからコウヤマさんと、以前から
  約束していたバミリオン・レイクへのサイクリングだった。
  コウヤマさんは、この時期は店に昼ごろ出る。それまでの間に
  決まってバミリオンへサイクリングをするというのだった。

  BMX(マウンテン・バイク)も貸してもらい、スナックとミネラルウオーター
  のボトルを持ってバミリオンへと向かった。自宅からは
  15分ほどでたどり着く。

  
  湖沿いにBMXを走らせる。
  今年のバンフは雨が少なく、バミリオン・レイクの湖水は例年より
  3割〜4割ほど少なく、干上がった底を見せていた。
  比較的気温も高めだったのだろう。昨年のこの頃と違って
  山々には全く雪がついていなかった。
  だが、季節は確実に移り変わっていく。近いうちにすぐ白くなるのだろう。
  サイクリングは、車とちがって適度なスピードで視界が変わるし
  少しヒンヤリとした風が心地よい。
  周りの木々は、紅葉を始めている。カナダ西部の落葉樹は黄色に
  色づく種類が多い。「紅葉」とはいうが、実際には赤く染まる葉は
  少ない。湖の対岸に広がる針葉樹の森にも、黄色く色づいた部分が
  見えてきていた。

  
  道路の右側はバミリオン。色づいた木々の向こうには
  T・C・H(トランスカナダハイウエイ)が走っている。

  
  天気が良ければ、キラキラ輝くように鮮やかなバンフの秋が見れる。

  バミリオン・レイクでのサイクリングのあと、
  コウヤマさんとは店の前で別れ、
  午後からは、一人でBMXを気ままに町を走らせた。
  町を横切るボウ・リバーのほとりで一休み。ベンチに座って、ふと
  意識して沈黙して目を閉じると、おどろくほど静かなことに気づく。
  ここから3分もBMXで走ればバンフ・アベニューに出れる近さなのに
  川沿いの散策路は、ときどき人が通りすぎるくらいで、あと動くものと
  いったらゆっくり流れるボウリバーだけだ。
  その川面は濃いエメラルドグリーンで、ときどきだが釣り糸をたらす人もいる。
  ただし、ここ一帯は国立公園内なので、原則として釣りは禁止されている。
  唯一、レイク・ミネワンカが人造湖なのでパスが必要だが許されている。
  
  この日は、一日リラックスデーにした。

  昼過ぎに、当初利用するはずだったB&Bのオーナーの
  自宅に行った。ペルー系カナディアンの奥さんが在宅していて
  またまたここでもハグハグの再会を果たした。部屋は空いているらしく
  昨年も利用した同じ部屋をとることができた。
  荷物をB&Bに移して、夕飯を食べに外へ出たが、
  まだ暗くなってないので、また一人でゆったりサイクリングに出た。
  さっきまでいたボウリバー沿いの道をそのままバミリオンレイク方面へ。
  途中、横断鉄道の踏み切りを越えると「ループ」と呼ばれる
  林間コースの入り口があるのでそこへ入った。小雨がときどき降ってくるが、林間に入ると
  気にならなかった。
  
  BMXを降りて歩いていると、ループの途中で出会った初老の
  夫婦が、ベンチの脇に立って、
  何か本のようなものを持ってこちらを見ている。
  「あなた、これが読めるかしら?」夫人が渡してきたその本は、
  厚さ5センチほどで、しっかりとした表紙だった。
  パラパラめくってみて驚いた。中は途中までビッシリとハングル語が
  書き込まれてあった。「君はアジアの方だね。ならば読めるかと思って・・。」
  夫人と違って細身の紳士が説明を加える。
  通りがかったベンチの上に置いてあったらしい。
  気になってめくってみると、記号にしか見えない文字と
  カナダ西部のいろいろな町並みの写真やイラストが書いてある。
  そこへヒロが通りかかったというわけだ。

  ハングル語?!
  あいさつ程度は言えても、読めもしなければ書けもしない。
  まさかこんなところで韓国に出くわすとは思わなかった。

  小雨がまたパラついてきた。

 
                           つづく




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